わがまち散歩

紹介編

懐かしい信州にもそうそう行けず、なかなか投稿の機会が訪れません。でもせっかくこのような広場を作っていただいたので、今回はわがまち羽曳野市周辺をご紹介したいと思います。羽曳野市は世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の古市にあたる場所です。応神天皇陵はじめ44の古墳が世界遺産に登録され、それ以外にも19の大小さまざまな古墳が点在し、鉄道も古墳を避けて曲がりくねって敷設されています。旧竹内(たけのうち)街道を通って二上山麓を越えれば奈良県明日香村まで僅かです。ブドウやイチジク、食品産業以外にこれといった産業は有りませんが、歴史遺産が点在する町です。(天皇名や陵墓名は一般的な呼び方に準じています)

二上山。次の写真の大和葛城山、金剛山と共に羽曳野を代表する風景です。二上山山麓は、奈良県の明日香に対して「近つ飛鳥」と呼ばれ古墳や由緒ある神社仏閣などが点在しています。
左 大和葛城山 右 金剛山

まずは古墳からご紹介

聖徳太子廟(叡福寺)

隣町の太子町磯長(しなが)にあります。お堂の後ろは古墳で、母宮や妃も合葬されています。付近には推古天皇(叔母)、敏達天皇(叔父)、用明天皇(父)や小野妹子のお墓などもあり、「王家の谷」と呼ぶ歴史学者もいます。

左が応神天皇陵

仁徳天皇陵に次ぐ大きさです。写真は中央部くらいから長軸方向に撮っています。古墳の弱点はそばに行くと全体像が見えないことで、世界遺産登録後も観光客はそれほど多くありません。

古室山古墳

公園化され散策できる古墳もいくつかあります。写真は全方後円墳の丸い部分(後円)から四角くなっている部分(前方)を撮ったものです。

菅原道真や源義家は地元の英雄

道明寺天満宮

菅原道真は土師(はじ)氏という渡来人がその祖先であり、道明寺天満宮の付近は土師の里という地名になっています。現在は北野天満宮や太宰府天満宮に比べ規模は小さいですが、こちらが本家本元です。

源頼信の墓

源頼信は頼朝や義経の直系の祖先で河内守に任じられ坪井の地を本拠とし「河内源氏」の祖となりました。その子頼義や孫の義家の墓も付近にあり「源氏三代の墓」と呼ばれています。

源義家の墓

白川天皇の護衛や後三年の役で名をはせた義家は、武勇の誉れが高く「八幡太郎」と呼ばれました。子の義国が足利氏、新田氏の祖となりました。

誉田八幡宮

誉田八幡宮は応神天皇陵の後円部に隣接し、応神天皇(八幡様)が主祭神です。源氏の八幡信仰が広まるにつれて、鎌倉将軍家や豊臣家、徳川家などの信仰を集めました。

源頼朝寄進の神輿の写真

宝物館には源頼朝寄進の神輿や陪塚(ばいちょう)から出土した馬具(いずれも国宝)などが展示されています。

応神天皇陵への放生橋

年に一度の放生会では、神輿を担いでこの橋で御陵まで渡る神事が行われています。近年まで頼朝寄進の神輿が使われていました。

あと有名なものは…

チョーヤ梅酒本社

大々的なCMで有名なチョーヤ梅酒の本社はわりとこじんまりとしています。伊東美咲さんが出演していた頃は、地元では「利益の半分をCMにつぎ込んでいる」という噂がありました。

大阪府立近つ飛鳥博物館

古墳時代の遺物を中心に展示されています。数年前、リポビタンDのCMで木村拓哉さんがこの階段に座っていました。当時は聖地巡礼の人がたくさん来て座っていました。右奥の里山には小さな古墳が多数点在しており、露出した玄室に入ったりすることもできます。

PLの大平和記念塔

「南河内のシーボーズ」と呼ばれるこの塔は180mの高さで羽曳野丘陵上に建設されているので名神や近鉄大阪線で大阪府に入るとかなり遠くからでも見え、「大阪に戻って来た」ことを実感させてくれます。

弘川寺

天武天皇の行幸や行基、空海とも関係の深いお寺です。「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」と詠んだ西行法師終焉の地で、もみじの名所です。もちろん春の桜も素晴らしいです。

岩屋の石窟寺院

万葉集にも詠われた二上山の頂上付近には大津皇子のお墓があり、中腹にある岩屋は、幅7.6m、高さ6.14m、奥行き4.5mの大きさで岩盤をくり抜いた我が国唯一の大陸風石窟寺院です。奥の壁には三尊像が線刻されています。

2025.3月  BY OKchan

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