本年は何故か神道に縁があります
5月に出雲大社、6月に諏訪大社下社の春宮と秋宮、7月は伊勢神宮、10月また諏訪大社上社の前宮と本宮、そして11月には安倍晴明神社と熱田神宮へ・・
まあこれまでも“神頼み”しかない人生ではありました
それにしても本年に限り怒濤のように神々が押し寄せて来るのは何故なのか
まあ仕方がない、と歴史の本も読みました
「大和と出雲」「物部氏の正体」「藤原氏の正体」「私の日本古代史(上田正昭)」「浦島伝説とユダヤ」「日本という国(上田正昭、梅原猛)」さらに「縄文の歴史」と立て続けて・・
歴史が苦手だったので中学の教科書を一からおさらいしている感じがしました
それはそれで面白く新鮮で頭の中がコソバユイ(“くすぐったい”の関西語)感覚にもなりました
それにしても分からないのは、出雲と諏訪の関係です
まず出雲大社の神楽殿前の注連縄

頭上に落ちてきたら大変なことになる重量感
お賽銭を上に投げて縄フサに刺さると良いことがあるそうです
そして諏訪大社(下社)の神楽殿と注連縄はこんな感じ

出雲と諏訪
共に大きな注連縄が目立ち、その相似性は尋常ではありません
異様な大きさのずっしりとした重量物で、吊り下げる建物とのバランスも果たしてこれで良いのだろうかと眺めていると、注連縄とはいうものの、装飾(飾り物)ではなくて、それ自体がご神体であるかのように見えてきました
静的な造形ではありませんね
うねり、絡まり、締り上がり、跳ね上がり、力強く動いています
どう見ても蛇が絡まりあって社殿に取り付いているとしか見えません
折しも本年は巳年
折しも本年は巳年
地の神たる蛇の胎動でもあろうかとも思われました
それにしても出雲と諏訪では余りに遠いやろ・・
山陰の海岸から信州の山の中まで・・と思案しましたが、諮らずも諏訪大社上社の近くに「神長職 守矢資料館」があり、そこに「出雲より諏訪にやってきたタケミナカタが地の神々を参らせた(降参させた)こと」、「地の神々は十五を数えるほど多くあったが(今もあるが)、守矢氏という神に仕える一族が神長(神々のまとめて役)となり、地の神々を統率して出雲から来たタケミナカタを諏訪の神とすることに落ち着いたこと」とその謂れ書きに記してありました
因みにその諏訪の神を奉るために多くの捧げものが供えられるとのことですが、鹿革も重要な貢物であったようで、資料館の壁にはずらりと鹿頭が居並んでいます

互いに何を考えているのだろうか
先の読書の数々から、出雲にも大和アマテラス系の神「タケミカズチ」が降臨し、当地に勢力のあった出雲の神「タケミナカタ」を追い出したところ、いろんな禍が起こるので、地の神を崇めなければならぬ、と大社が作られたと読みました
そうか、追い出し追われた神々の神話構造が出雲と諏訪には底通していて、出雲と諏訪の繋がりがそこにあるのでしょうか
いや、歴史素人の当て推量ですが・・
諏訪上社の境内にある石碑「敬神崇祖」
降臨した天の神を敬い、元よりの地の祖神を崇めるとも読めます

そしてこれが御柱!

7年に一度善男全女がこぞって取り付いて山から曳いて降りて
境内のこの場所に据えられている
これは果たして、地の神が伸びあがっていく姿でしょうか
天の神が降りてくる依り代でしょうか
皆さんどう思います?
野中 拝

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