前日、松本での用事を済ませて、翌日は快晴で、また、少し時間があったので、大糸線に乗り穂高の碌山美術館を訪問しました。これまで何度か松本に来た際に、寄ろう寄ろうと思いつつ、主に時間的な制約から長い間実現しませんでしたが、今回は漸くその夢がかなった、何か人生の神様に導かれたような気にもなる、自分にとっては特別なものでした。

碌山本名の荻原守衛は何と読む?
碌山美術館はこれまで友人たちと数回来たことがありますが、実のところ、碌山に特別興味があったわけではなく、友人たちと一緒に行くことの方がメインで、展示物を鑑賞する際も、雑談の方に意識が行っていて、作品や碌山個人への記憶は殆どないのでした。特に記憶にあるのが、展示説明の中の碌山の本名、守衛(もりえ)を、「しゅえい」(警備される方)と頭の中で読んでいたほど、碌山個人については無知でした。
今回訪問のきっかけは思いがけぬ出会いから

実は前回、最後に来たのが、約20年前のことで、仕事で松本に出張した際に、その時は一人で来たのでした。その時も碌山への関心より、昔一緒に行った友人たちとの思い出に浸るのが主な動機だったようで、当時撮ったはずのガラケー(スマホが登場し普及する数年前の頃ですね)画像も殆ど執着なく紛失してしまいました。その日はやたら寒い日で、館内も冷え切っていて、作品にもあまり集中できなかった記憶があります。そして後年、何気なく寄った高岡古城公園で、偶然、碌山との出会いがあり、冒頭申しました様な、何か運命のお導きのようなものも感じ、今回の再訪となったのでした。(長い前振りで大変申し訳ございません。m(__)m)

改めてオリジナルに参拝?
碌山の短命は知られていますが、30歳であったこと、また、当時のパトロン夫婦の奥様と或る意味、悩ましい関係にあったこと、そして多くの作品にその奥様がモチーフであったかもしれないことは、今回、年表で初めて知りました。それを念頭に置いて、陳列作品を見ていると、そのリアルさ、彼とその奥様の当時の懊悩が、生々しく迫ってきます。

ここは碌山神社?
先の章で、思わず「参拝」と書いてしまいましたが、私にとって、ここは美術館と言うより、30歳で結核による喀血で予期せぬ死をむかえた(本人も周囲の人々も、死ぬほどの喀血ではないと思っていたようで)守衛の無念を慰めるための神社で、数少ない彼のブロンズの作品群は彼の魂を見守る狛犬の様な神々しさを感じました。

神々しさも感じる作品群
最後にこの展示室の独特の雰囲気を少しでもお伝えできればと思い、いくつかご紹介しますが、当然、実物のリアルさには遠く及びませんので、もしそれを体感したいと思われるなら、信州旅行の際に(松本からJR大糸線で約30分、《穂高駅》より徒歩7分)お立ち寄りください。





最後までお読みいただき大変ありがとうございました。(R男)

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